なぜ養蜂家に
基史は以前は旅行会社で働くサラリーマンでしたが、
ある日『養蜂家』になることを決意し、転職。
「自分で何かはじめたいと思った時『はちみつは世界中にある。これだ。』とひらめいた。」
というのが海外旅行好きの基史らしい答えです。
趣味で養蜂をしていた父親の影響も大きく、自家製はちみつを一口なめた時、
これまでに味わったものとは全くちがう甘さとおいしさにひどく感動し、
はちみつの奥深さにますます魅力を感じたのです。
日本での養蜂家修行
2002年、養蜂家 基史が誕生し、静岡、種子島、鹿児島での養蜂を経験。
その後、幸運な出会いにより岐阜県の養蜂場で働くこととなり、
二人のお師匠さんの教えを受け、みつばちを大切にする事の重要さを学びました。
とにかく体を使う養蜂なのでサラリーマンからのいきなりの転身だった基史には
きつい頃もありましたが、いつの間にか驚くほどの体力がつき、
気がつけば手も指もゴツくなり、体も丈夫になっていました。
一般的には手袋をして養蜂をしますが、そこでは、「素手」が基本。
作業がしやすく、より繊細にみつばちを扱い傷つけないためです。
これもはじめは大変でしたが、今ではすっかりみつばちに刺される事にも慣れ、
「素手でできる」という事はニュージーランドに渡ってからも大切な財産となっています。
ニュージーランドとの出会い
2003年、陽子のワーキングホリデーではじめての南半球、
ニュージーランドの地を訪れます。
何カ国かある中でこの国を選んだのは養蜂が盛んだと聞いていたから。
二人そろってニュージーランドに魅せられ、この地で養蜂をやっていこう
と思った最大の理由はニュージーランドの人々の気さくでやさしい人柄も然る事ながら、
『広々とした土地と大自然』です。
国土は日本より少し小さいぐらいなのに対して人口は圧倒的に少なく、
街からほんの少し離れれば緑いっぱいのファームエリアが広がり、民家は数えるほど。
工場の数も少なく、第1次産業の牧畜や農業が盛んで、
年々自然の減っている日本と比べて
まだまだたくさんのはちみつの恵みがあるなぁと感じたのです。
ニュージーランドでも幸運な出会い
2005年、夫婦として改めてニュージーランドにやってきて、
何とか養蜂家として雇ってもらい、何とか生活をはじめました。
私たちのニュージーランドの母、おばあちゃんのような恩人。
彼女との出会いで人生が変わったと言っても過言ではなく、
彼女と出会っていなかったら、ニュージーランドで今の養蜂をしていることもなかったのは間違いありません。
全く何も知らなかった私たちでしたが、何ヶ月も居候させてもらい、
食べ物のことから、畑仕事、オーガニック、体と心の健康について、持続可能な生き方、木の植え方に至るまで、
ありとあらゆる事を通して自然に寄り添い生きるオーガニックライフを実践で教わりました。
その時教わった事が、今も私たちのライフスタイルの基本になっています。
そんな友人たちの助けがなければとても成り立たないようなギリギリの毎日の中で、
幸運にもニュージーランドでも尊敬できる養蜂家と出会います。
ニュージーランドらしい、規模の大きく効率のいい養蜂スタイルに驚き感心し、
教わる事がいっぱいの、仕事が楽しくて仕方がない日々を3年ほど共に過ごした頃、
彼は半リタイアを決意。
売却された養蜂場は、これまでとは雰囲気もスタイルも異なる大きな会社になりました。
組織としての養蜂場では花粉交配が主な仕事。
当然、はちみつだけじゃなく、みつばちの存在は後回しにされます。
世界各地でみつばち不足が叫ばれていますが、
過酷な環境と農薬こそがその原因ではないかと私たちは考えます。
自らが納得できる養蜂を求めて
疑問に思いながらの日々に終止符を打ち、
ついに2011年9月(春)から新天地にて、はじめての自分のみつばちを飼い、
自らが納得できる養蜂を始めました。
その規模はまだまだ小さいものですが、
『よりみつばちと環境にやさしい養蜂を行い、
より自然な形に近い高品質で本物で純粋なはちみつをみつばち達から分けてもらい、
日本の皆様に喜んでもらう』
という目標に大きく近づきました。